

1998年に僕電気屋をずっとやってたんですね、ビデオテープの専門店。当時は良かったんですけど、1990年代後半くらいになると20万円ぐらいするビデオの機材が1万円ぐらいになっちゃって。だから、2階が空いてたので、焼き鳥が好きだったのでハモニカキッチンを始めたっていう話なんですよ。金土日だけ始めて。下で19時ぐらいまでビデオテープ屋やって、シャッターが閉まってるところを開けて、2階にいていただくっていう
1998年のときのハモニカ横丁
美舟があったと思うけど、モスクワのところに「峠」ってお店があって、それしかない。真っ暗 でしたよ。飲食の素人だから、マネジメントもやったことないので、とりあえずやってみようというので、築地を紹介されて築地にいったり、収支の決算したり、内装を僕らの知ってる建築家にやってもらったり。でやってみたら電気屋よりめちゃくちゃ面白いんですよ。自分でメニューも決められるBGMもかけられるし内装も勝手にできる。みんな今の若い人ってほとんど飲食業って金儲けくらいのレ ベルとしか考えてない奴が多すぎて、もっといろんなことがやれるのに。地方にいくと、突っ張って福岡とかでやってる奴らがいて若い面白い奴らがたくさんいる。若い時しか面白い自由なことはできないので。


ハモニカキッチンは2階でやってて、こっち側だけで始めてて、でクレヨンハウスってあるでしょ吉祥寺に。あれが表参道にあったときにああいうオーガニックなバイキングを吉祥寺でやりたいって思って。1階で店舗をやめてバイキングを始めたんだけど狭すぎて収支が合わない。じゃあダメだって言ったら前のお茶屋さんが出るっていうんで「じゃあやるしかないか」って。やったときに、BOWERY KITCHEN(駒沢)とかロータス(表参道)を作った形見一郎に内装を頼んだんですよ。今のてっちゃんの全体は魚屋で、形見さんに頼んだら「やるよ」ってことになって。魚屋のあるような築地みたいなところに、ちょっとガラスと白とステンレスで綺麗なカフェみたいなのを作ったら面白いなと思って、彼に作ってもらった。で、あの形見一郎の造りを青山で作ってもつまんないと思って。わざわざ吉祥寺にこだわって、あそこでやるよりはこっちなんだ、と。もともとハモニカキッチンは、サラリーマンが5時すぎに気楽に一杯飲みに来てほしいと思っていたのが、なぜかむちゃくちゃ可愛い子が働きたいって来た笑。それで、隣の魚屋のおやじがやめるから お前やんないか?って。じゃあ焼き鳥屋やってみようかな、って思って「てっちゃん」て名前にしたんですよ。そのときにいた、カフェをやっているオシャレで綺麗な女の子たちが「焼き鳥てっちゃん!?なにそれ?何やるつもり!?」って言いましたよね笑。


僕はあの銀座の「ライオン」ていう店がとっても好きなんですよ。で、わりといろんな人がたくさん来て、お正月もやってるでしょあそこ。お正月に行くと常連のおばあちゃん3人くらいが毎年そこで飲んでるあの雰囲気と、めちゃくちゃ美味しいすぐ出てくる黒ラベルが美味しいので、ああいうのを吉祥寺にできないのかなと思ってミュンヘンを作った。でもあんなもん(ミュンヘ ン)しかできないんだよね、金がない笑。





やっぱり自分の近くにある現実的なものからつくりあげなきゃいけないと思って。そのときの一番の僕の現実は、ベトナム人が60人ぐらいいるわけ。その人たちと何かうまくやれないだろうか、この人たちがいないとうちやっていけないから。で、この人たちを中心にした ASIANS。アジアンズってあれ「大東亜共栄圏」なんですよ。それでこの人たちと面白い、この人たちが住みやすいような、お店を目指しました。この人たちもそうだけど八王子のほうから大久保まで、毎週土曜か日曜は買い物に行くんですけど、そこをそこまで行かないで止まって、この辺で楽しくやれないかな、っていうので始めた。でもやっぱまだ頭でっかちかもね。それでもベトナム祭り、ネパール祭りをやったときはすごかった。だいたい100人くらい、ミャンマーが合わせて200人くらい集まっちゃって。大きくなりすぎて、むちゃくちゃですよ、人がたくさんで、外の方が涼しいっていう笑。

ASIANSスタッフ
昼のランチは中華メインです。ベトナムだったら夜限定の春巻きとか。ランチは中華であとはマルゲリータなど洋食系。全部で10種類ぐらい。インスタとかTikTokの流れでくる人も多いですね。外国人のためにもやってたりするのでアジアンズの人たちに来ていただきたいです。
今僕が年齢的にやらなきゃいけないことって、けっこういろんな人に来ていただけるようになっ て、浜野安宏って東急ハンズの旧ロゴを作った浜野安宏が気に入って。浜野商品研究所の。めちゃくちゃすごいよ!あらゆるブランドのプロデュースをやってますね。バブルの人だからね、開高健とか石原慎太郎とか。この本を読むとわかるけど、さんざんいろんなことやった後にフライフィッシングの権威になったりしてる。 立木義浩って知らないか、写真家がいるんですけど、彼も来たんですよこの前。浜野安宏と同じ、82ぐらいか。で、北海道旭川の隣に東川町というところがあって、この前アド街に東川町が出た。東川町に隈研吾がサテライトオフィスを作って、そこにうちの担当のタグチくんていうのがこの前遊びにいったんですよ。「写真の町」っていうのを25年ぐらい前からやって、今すごい話題の町なんですよ。アド街が東川町をやったら、彼が写真の町の審査員とかをやってるっていう。でタグチくんが来たときに、たまたま彼がいて、モスクワで紹介して、またタグチが帰ったら、彼が写真の打ち合わせで来てたと。いろんな人がなぜか気に入って 来てくれるようになって、それをつなぐ作業を一生懸命やってる。横丁自体も建物なんか面白いけど、人が来てくれるようになっていろんな人がこう、会うっていうのが面白い。 本当にいろんな奴が来るから。だってここに来て、意外とほら格式ばらないで飲めるでしょ。